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職場の人との会話の中でふと、『インスタを見ると、幸せな人間ばかりで苦しくなるから、あまり見たくない』と言ったことがあった。
『へえ〜、やっぱりあなたでもそういう風に思うことあるんだ!』
と、驚いたような安心したような反応をされた。
ほう、私はやっぱり、明るいんだな。
昔から外面が底なしに良い私は、卒業アルバムや小学生の頃に流行ったプロフィール帳に、私の長所を『明るいところ』『元気なところ』『面白いところ』と書かれることが多かった。
所詮、ごく普通の人間が、他人の本質を見破ることなんて到底できないのだと思う。
明るい、元気だと言われ続けていた私は
小学生の頃から寝る前には毎晩泣いていたし、
中学生の時には自分を傷つけることを覚え、
高校生の頃には適当な男で精神を保つことを日課にしていた。
昔から他人の全てに敏感だった。
特に人の表情や感情の変化は、凄まじく恐ろしいものだった。
ごく普通の家庭に生まれ、蝶よ花よと育てられていた自覚はあった。
しかし、何故だろう。
母親と買い物に行き、会計の後、車までカートで荷物を運ぶ。車に全ての荷物を乗せ終わった後、カートを戻しに行ってくれと頼まれた時、いつも私は、カートを戻しに行っている間に、母親は私を置いて1人でどこかに行ってしまうのではないかと、不安で仕方がなかった。
父親が私が眠るのを見守る。私が眠りに落ちた頃、父親は部屋を出るだろう。そして私以外の家族を全員連れて、どこかに行ってしまうかもしれない。そんな不安が、10歳にも満たない私の頭を、心を、支配していた。
もうずっとずっと昔から、愛だとか、優しい感情を信じることの出来ない私が、これから先 、信じることは出来るのだろうか。
この人は私のことを愛してくれるかもしれない、と、希望を持ってしまった相手ほど、私の本質を知って離れていく。
そんなことを何度も経験してきた。
その度に私は、『どうでもいい』と思うことを上手くなっていくのだ。
誰か一人を強く求めてしまった時、私は自分を恥じる。
こんなまやかしに過ぎない感情を大切なものだと勘違いしてしまう自分に鳥肌がたち、吐き気を催す。
それと共に、その相手の全てを愛したくなる。
大丈夫、それでいいのよと、許したくなる。
私みたいな人間に好かれるあなたは尊く、気高いものだと、
大丈夫、私を好きにならないあなたはこれからもきっと、全てが上手くいくよ。
私のことを好きになってくれた人間の全てを幸せにすることは私にはできない。
無責任でごめんなさい。
でも私もきっと100%の幸せを感じることは出来ないから安心して欲しい。
安心してくれてもいいけれど、私は諦めないので、
一緒に幸せを取得、しましょう。
人には用途があります、私はあなた達の縋るべき存在でありたい。
何も救えないかもしれないけれど、解決はしないかもしれないけれど、次に進む1歩を踏み出せるような、あなたに寄り添える一言を生み出せる程、あなたを想いたいです。
私みたいな人を適当に、踏み台に出来るような、寂しい時に少し縋るだけで居られるような、強くも脆いあなた達が好きです。
好きです!