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「回復の目処は立っていません。」
テレビから聞こえたセリフで我に返る。
自分に言われたのかと思った。帰宅してからBGMのように流していたテレビで初めてきちんと聞こえた言葉がそれだった。最悪だ。
もし私に言うのならば、「目処が立たない」なんて希望を持たせる言い回しはせず、「回復の見込みはない。」とハッキリ言い切って欲しい。
見込みなんてない。
「猫になったんだよな君は」という歌詞を聞いて羨ましく思った。「君」の方にだ。私だって猫になりたい。こんなことを言ったら賢い猫に怒られてしまうのかもしれない。猫だって辛いんだ、猫だって生きているのは苦しいのだぞ、と。
でもお前は私よりも可愛くて沢山の人に愛されるじゃないか。 怒り返したい。
職場からの帰り道、時期外れのイルミネーションが目に入った。イルミネーションが許されるのはせいぜい1月いっぱいだろ。3月末なんてもう春。いつまでもキラキラしていないでほしい。綺麗なものを見ると吐きそうになる。輝いている人を見ても、同じく吐きそうになる。
というかその時私は泣いていて、涙にまみれた眼球に光は鬱陶しいもので、より最悪だった。
どこかの店のスタッフが2人通って、男が押す台車の上に女が乗っていた。彼らを何度か見た事があるが、恐らく2人は恋人同士なのだと思う。楽しそうに男は走っていて、女もはしゃいでいた。轢いてやろうか。
楽しそう!!混ぜて欲しい!!!なんて可愛いことを考える余裕は私にはなく、ただただうぜえなと思った。いや乗せて欲しいよ。私のことも楽しくしてくれよ。寝盗ってやろうか。女の方でも男の方でもいい。でもそんなことをしても私の心は満たされないことを知っている。私もただ、笑いたいだけだ。
幸せそうな恋人同士の姿を見て、自分の恋人のことを思い出す。台車に乗せて押したら笑ってくれるだろうか。怖いと言うだろうな。
危なかった、今日も。なにか大きなものを捨ててしまいたい衝動をなんとかこらえ、一日をこなした。自分の部屋に帰り少しほっとする。ここは私だけの場所だ。散らかった床もこの安心する匂いや染みのある壁、ふかふかのお布団にかわいい服、全部今は私だけのものだ。散らかった空のペットボトルや空き缶は、私のものでなくてもいいや…。勝手に片付いてくれないかな。
最近昔からの友達とのちょっとした(いや致命的かもしれない)いざこざがあったが、元通りになるだろうか。喧嘩は珍しく、自ら起こそうとしたことはないのだが、今回は明らかに自分に原因がある。譲れないことがそもそもあまりないので基本的に合わせることが出来るが、今は余裕がなかった。しかし譲れないことに変わりはないし、悪意もなかったので謝る気はない。でも仲直りできないのは困る。こうやって悩んでいる自分に少しばかり可愛げを感じてしまう。どうでもいいと思えたらそれはそれで楽だろうが、人間はきっとそういうものではない。
今年に入ってから一時的に私の心は珍しく健康な状態を保っていたが、その反動なのか今は酷い。これを理解できるものは私しかいない。周りへの影響は最小限に抑えたいが、なかなか難しい。
いつでも一定を保つことが、人生において大切なのだと思う。しかし私はブレすぎる。振れ幅もかなり大きい。基本的に低いが、その低い中での振れ方が異常だ。
どうにかしようと思っているが、焦ることもよくないのだと思う。なんだか今はやはり見込みがない。見込みがないのだ。
唐突にエースの言葉を思い出す。ワンピースの、エースだ。
「愛してくれてありがとう!!!」
こんな感じだ。 すげ〜。私も死ぬ瞬間が来たらそんなことを言えるだろうか。思えるのだろうか。いや今私が死ぬ瞬間に言うセリフはこれだ。「愛されたかった!!!!!何も信じられませんでした!!!!!!!!!」
悲しすぎるだろ。
いやそんなことはないと思うのだけれど、なんというか、ほぼ負け犬の遠吠えとしてそんなセリフを吐くだろう。絶対に今死んだらいけないな。かっこ悪すぎる。
今日は手元が狂いすぎる。お釣りの100円玉を500円玉のところに入れたり、タバコを3本折ったりしている。早く寝た方がいい。眠れそうでよかった。眠れる。眠る見込みだけはある。何よりも救われることだ。回復の目処、どうか、立て。