太田胃散全部ゆめ

記録…?みたいな…?

それはもう限界に近い、いや超えているのかもしれないとさえ思うほどの私の苦痛は、私かどうにかできるものなのだろうか

何かに頼り縋り今まで生きていたこと、やはり意味はないのだろうか

現実よりもずっと夢に近いような私の音は誰が拾ってくれるのか

私が拾われたことを私は認めることが出来るのか分からない

何年も同じことを考えているが私は人が全ての人が愛されているようでそれが私とは遠い世界なことに思えて仕方がない

抱きしめてもらえれば治る訳でもないこれは明日もつなげるだろうか

私が決めなくてはならないことなどとうにわかっているようで

悲しいなんてもう思わなくなってしまいたい

私の全てが間違えているようで仕方がない

悲しい悲しい私は悲しいまま生きていくなんて絶対に嫌なのに

私のこれは泣き言なのだろうか戯言でしかないのだろうか夢の話をしているのか私はずっと

愛される人になりたかった愛されたままでいたかった

ただひとつの愛などもういらず そう思う自分さえ愛せず 蹲るように弾いて弾いて

もう思い出すことも無意味なことなど理解はしていて心だけ認めず愛して愛して

日々を抱きしめても明日だけは愛することも出来ず生きていくのは愚かなのだろうが 愚かだから人が消えていくのだろうか

これはやはり夢なのだろうか 悲しいばかりが現実なのだろうか

とてつもなく綺麗なものは私の世界になくそれだけではなく私の外の世界にも起きていることのようなのにそれは見えず私は

私は大切なものを捨てながら生きていくのか

 

施しようのない感情も苦しみも全て私は飼い慣らすこともせずする気にもなれずはやく慣れないまま消えてしまえばいいと思っている

夕日を見て夜になるのが悲しいだとかあどけない感情も全て消え私は夢のことばかり思い出している 夜が来てしまう前に会いたい人など思いつかなくなっている 

もう晴れた日の昼間の明るさにさえ救われないような自分ができあがってしまっていて

なんだか幸せそうな人はこんなふうに思ったことがないように見える わからない 私自身私だけの問題であるなら私だってそれがいい

幸せを幸せと思えない苦しさがまとわりついて重たい、重たい

私の悲しさも苦しさもこんなふうに書かず早く死んでしまえばよかったと思えるような程の 言葉にしても私自身の弱さや馬鹿らしさだけで済む話だ 追いつかない

人の音を聞いて普通の声を出すような判断が普通の人はしなくてもいいと知り私は絶望したから死にたい

普通の幸せというものを生まれた時から今まで当たり前に感じている人間がいるということを私は知っているから死にたい

 

 

 

 

 

 

 

「回復の目処は立っていません。」

テレビから聞こえたセリフで我に返る。

自分に言われたのかと思った。帰宅してからBGMのように流していたテレビで初めてきちんと聞こえた言葉がそれだった。最悪だ。

もし私に言うのならば、「目処が立たない」なんて希望を持たせる言い回しはせず、「回復の見込みはない。」とハッキリ言い切って欲しい。

見込みなんてない。

 

「猫になったんだよな君は」という歌詞を聞いて羨ましく思った。「君」の方にだ。私だって猫になりたい。こんなことを言ったら賢い猫に怒られてしまうのかもしれない。猫だって辛いんだ、猫だって生きているのは苦しいのだぞ、と。

でもお前は私よりも可愛くて沢山の人に愛されるじゃないか。  怒り返したい。

 

 

職場からの帰り道、時期外れのイルミネーションが目に入った。イルミネーションが許されるのはせいぜい1月いっぱいだろ。3月末なんてもう春。いつまでもキラキラしていないでほしい。綺麗なものを見ると吐きそうになる。輝いている人を見ても、同じく吐きそうになる。

というかその時私は泣いていて、涙にまみれた眼球に光は鬱陶しいもので、より最悪だった。

どこかの店のスタッフが2人通って、男が押す台車の上に女が乗っていた。彼らを何度か見た事があるが、恐らく2人は恋人同士なのだと思う。楽しそうに男は走っていて、女もはしゃいでいた。轢いてやろうか。

楽しそう!!混ぜて欲しい!!!なんて可愛いことを考える余裕は私にはなく、ただただうぜえなと思った。いや乗せて欲しいよ。私のことも楽しくしてくれよ。寝盗ってやろうか。女の方でも男の方でもいい。でもそんなことをしても私の心は満たされないことを知っている。私もただ、笑いたいだけだ。

幸せそうな恋人同士の姿を見て、自分の恋人のことを思い出す。台車に乗せて押したら笑ってくれるだろうか。怖いと言うだろうな。

 

 

危なかった、今日も。なにか大きなものを捨ててしまいたい衝動をなんとかこらえ、一日をこなした。自分の部屋に帰り少しほっとする。ここは私だけの場所だ。散らかった床もこの安心する匂いや染みのある壁、ふかふかのお布団にかわいい服、全部今は私だけのものだ。散らかった空のペットボトルや空き缶は、私のものでなくてもいいや…。勝手に片付いてくれないかな。

 

 

 

最近昔からの友達とのちょっとした(いや致命的かもしれない)いざこざがあったが、元通りになるだろうか。喧嘩は珍しく、自ら起こそうとしたことはないのだが、今回は明らかに自分に原因がある。譲れないことがそもそもあまりないので基本的に合わせることが出来るが、今は余裕がなかった。しかし譲れないことに変わりはないし、悪意もなかったので謝る気はない。でも仲直りできないのは困る。こうやって悩んでいる自分に少しばかり可愛げを感じてしまう。どうでもいいと思えたらそれはそれで楽だろうが、人間はきっとそういうものではない。

 

 

今年に入ってから一時的に私の心は珍しく健康な状態を保っていたが、その反動なのか今は酷い。これを理解できるものは私しかいない。周りへの影響は最小限に抑えたいが、なかなか難しい。

いつでも一定を保つことが、人生において大切なのだと思う。しかし私はブレすぎる。振れ幅もかなり大きい。基本的に低いが、その低い中での振れ方が異常だ。

どうにかしようと思っているが、焦ることもよくないのだと思う。なんだか今はやはり見込みがない。見込みがないのだ。

 

唐突にエースの言葉を思い出す。ワンピースの、エースだ。

「愛してくれてありがとう!!!」

こんな感じだ。  すげ〜。私も死ぬ瞬間が来たらそんなことを言えるだろうか。思えるのだろうか。いや今私が死ぬ瞬間に言うセリフはこれだ。「愛されたかった!!!!!何も信じられませんでした!!!!!!!!!」

悲しすぎるだろ。

いやそんなことはないと思うのだけれど、なんというか、ほぼ負け犬の遠吠えとしてそんなセリフを吐くだろう。絶対に今死んだらいけないな。かっこ悪すぎる。

 

今日は手元が狂いすぎる。お釣りの100円玉を500円玉のところに入れたり、タバコを3本折ったりしている。早く寝た方がいい。眠れそうでよかった。眠れる。眠る見込みだけはある。何よりも救われることだ。回復の目処、どうか、立て。

 

 

 

 

 

おしっこはずるいこと?

乏しい全部

 

言いたいことは望む前に叶ってないと意味がないので、全部サプライズで事足りる

 

 

寂しいなんてものではなくて、悲しい

 

 

いや、寂しいで済ませておいた方がいい

 

 

蔑ろにしつつ、されつつ、1人でいたい

 

決まった季節で鼻が痒くなる人生を愛しいとは思えない

 

自分にとっての「いい人」を大事にできるほど細かくはない

 

可愛いリボンが垂れカラフルな服が落ちる部屋で、私とティッシュだけが 可愛くない

 

始まりが基準で、終わりが答えでも、始まりだけを信じそうになる

 

 

前向きな脳みその言うことを、冷静な時の私は信じようとしない

 

 

持て余すほどのスペースがある部屋に、私は小さく思えるが、本当はもっともっと小さい

 

 

 

夢の中にいる人が、私のことを考えるはずもない

 

 

 

青いと思っていたお酒が、実はそれは瓶の色で無色透明

 

 

 

何かをじっと見ている人の、首を絞めたくなる

 

 

驚いて振り向かれると、こちらも驚く

 

 

悲しいことは、実はひとつではない

 

 

自覚がないのは、「ない」のと同じではない

 

 

楽しいならいいけど、と言いたいが、全然よくない

 

 

似たものを一緒に入れないで  丁寧に扱わないと綺麗には混ざらず 反発し合う

 

ロケットに乗ったら、呼吸が出来なくなるまで遠くまで行く

 

 

自分をブロックした人の事 思い出すことさえ無駄と思い  心から消す

 

 

春の色を 少し疎ましく思う

 

体温が 気持ち悪くて仕方がない

 

 

 

スローモーションになる瞬間、いつも笑っている

 

 

泣いている時に、早送りしたくなる

 

 

 

離れていくもの、どうか幸せであれと願いつつ、私だけがそのものにとっての幸せであればいいと願う

 

 

私の苦しみを知らないひと、わからないひと、みんなそのまま、心ゆくまで生きて、死ねばいいと思う 

 

 

 

 

『めいちゃんとおはようとおやすみを言い合うのがいちばんメンタルにいい気がする』

『私もそう思う!じゃあできる時は毎日言おうね』

 

そんな会話をした数日後にAちゃんからの連絡が途絶えてもう3ヶ月になる。

それまでは毎日、付き合いたてのカップルにも勝る頻度でやりとりをしていた。

 

 

連絡が途絶えるのは初めてではない。2020年の12月から2021年の7月までの間も、彼女からの返信は一切なかった。その間も私は今まで通りとはいかずとも、なるべく他愛のない内容を一方的に送り続けていた。

7月ようやく返事が来て喜んだが、特に理由は聞かなかった。『返してなくて本当にごめんなさい』という返信を見て、何も聞かず普段通りにすることにした。謝られるようなことは何もされていないのだ。ただただ、生きていてくれたことが嬉しかった。

 

 

今回は連絡が途絶えてからまだ半年も経っていないが、心配だ。

ちょうど彼女が春休みで実家に帰った時だったので、また普段の家に戻ったら返事が来ると思っていた。

もう春休みは終わっているのに、既読すらつかない。

2度目のこととは言えども心配で仕方がない。

彼女は訳あって実家とは別の場所で人と暮らしているが、それがとてもストレスだと話していた。実家から戻るのは嫌だろうなと思ったので、せめて帰った時に少し嬉しいことがあればいいと思い、内緒で家にプレゼントを送っていた。彼女が欲しいと言っていたものと、確実に喜んでくれそうな好きそうなものを選んで送った。きちんと届いているだろうか。今までもお互いにプレゼントを送り合うことはあったので大丈夫なはずだが、迷惑だっただろうか。

 

 

彼女のことを全部わかる訳では無いが、私のことを嫌いになったり面倒になったということはほぼ確実にないと言える。何年もの間やり取りをする中で、何度『めいちゃんとなら』『めいちゃんがいれば』『めいちゃんがいるから』という言葉を聞いただろうか。私も同じように思っていた。『めいちゃんが居てくれるなら救われる』と言っていた彼女が、私にさえ頼れなくなってしまったのならば、本当に深刻なのだと思う。悲しい。

 

 

男が大好きで自分のことしか考えていないような私が、Aちゃんと暮らせるなら私が働いて部屋を借りて2人で住んでもいいなと思っていた。本気で考えていた。二度と男と遊べなくてもいいからこの子が救われるのなら私も幸せだからそうしようかなと、でも今はそのタイミングではないなと思っていた。

なにか今彼女が辛い思いをしているのなら、はやくそうしていればよかったと私は一生後悔するだろう。

思えば私は男には抱いたことのない愛情を彼女に持っていたのだろう。

Aちゃんが今、私に縋る必要もなく幸せなのなら、本当に嬉しい。ただ願うことしかできない。

 

 

 

職場の人との会話の中でふと、『インスタを見ると、幸せな人間ばかりで苦しくなるから、あまり見たくない』と言ったことがあった。

 

『へえ〜、やっぱりあなたでもそういう風に思うことあるんだ!』

と、驚いたような安心したような反応をされた。

 

ほう、私はやっぱり、明るいんだな。

昔から外面が底なしに良い私は、卒業アルバムや小学生の頃に流行ったプロフィール帳に、私の長所を『明るいところ』『元気なところ』『面白いところ』と書かれることが多かった。

 

所詮、ごく普通の人間が、他人の本質を見破ることなんて到底できないのだと思う。

 

明るい、元気だと言われ続けていた私は

小学生の頃から寝る前には毎晩泣いていたし、

中学生の時には自分を傷つけることを覚え、

高校生の頃には適当な男で精神を保つことを日課にしていた。

 

昔から他人の全てに敏感だった。

特に人の表情や感情の変化は、凄まじく恐ろしいものだった。

 

 

 

ごく普通の家庭に生まれ、蝶よ花よと育てられていた自覚はあった。

 

しかし、何故だろう。

母親と買い物に行き、会計の後、車までカートで荷物を運ぶ。車に全ての荷物を乗せ終わった後、カートを戻しに行ってくれと頼まれた時、いつも私は、カートを戻しに行っている間に、母親は私を置いて1人でどこかに行ってしまうのではないかと、不安で仕方がなかった。

 

 

父親が私が眠るのを見守る。私が眠りに落ちた頃、父親は部屋を出るだろう。そして私以外の家族を全員連れて、どこかに行ってしまうかもしれない。そんな不安が、10歳にも満たない私の頭を、心を、支配していた。

 

 

 

もうずっとずっと昔から、愛だとか、優しい感情を信じることの出来ない私が、これから先 、信じることは出来るのだろうか。

 

この人は私のことを愛してくれるかもしれない、と、希望を持ってしまった相手ほど、私の本質を知って離れていく。

そんなことを何度も経験してきた。

その度に私は、『どうでもいい』と思うことを上手くなっていくのだ。

 

 

 

誰か一人を強く求めてしまった時、私は自分を恥じる。

こんなまやかしに過ぎない感情を大切なものだと勘違いしてしまう自分に鳥肌がたち、吐き気を催す。

 

それと共に、その相手の全てを愛したくなる。

大丈夫、それでいいのよと、許したくなる。

私みたいな人間に好かれるあなたは尊く、気高いものだと、

大丈夫、私を好きにならないあなたはこれからもきっと、全てが上手くいくよ。

 

 

私のことを好きになってくれた人間の全てを幸せにすることは私にはできない。

無責任でごめんなさい。

 

でも私もきっと100%の幸せを感じることは出来ないから安心して欲しい。

安心してくれてもいいけれど、私は諦めないので、

一緒に幸せを取得、しましょう。

 

人には用途があります、私はあなた達の縋るべき存在でありたい。

何も救えないかもしれないけれど、解決はしないかもしれないけれど、次に進む1歩を踏み出せるような、あなたに寄り添える一言を生み出せる程、あなたを想いたいです。

 

私みたいな人を適当に、踏み台に出来るような、寂しい時に少し縋るだけで居られるような、強くも脆いあなた達が好きです。

好きです!